法話 覚え書き 

2008年6月22日 ゴータミー精舎で法話&瞑想会があるというので、また参加してみた。
また雨だ。いつも幡ヶ谷に行く時は天気が悪い。この前なんか台風だったし。ホント、毎回、お前これでも行く気か?などと試されてる感じ。雨だからどうだとか、なんの感情もわかないからこれはこれでいいのかな?
でも京都は天候に恵まれてラッキー
早めに出かけたものの、新宿でウロウロもたつくうち、到着したのは1時半過ぎだった。日曜日だからか70人くらいいただろうか?超満員だった。混み混みのところにちょこんと座って読経開始。
最初は法話、みんなの質問に長老が明快な答。ビシバシ鞭がとんでくる、って感じ〜

質疑応答の一部
こいつ嫌な奴だなと判断してしまうと、そういう目でみてしまうがどうしたらいいか?
自分の心を何があっても常にキレイに保ちなさい。他のゴミに汚されないようにしなさい。
どのように頭を使えば、「頭を使っている」と評価されるのか?
別に評価されなくたってかまわない。気にすることは無い。
歩き冥想をすると嫌な傷ついた経験が蘇って冥想ができなくなるが、どうしたらいいのか?
自分の心に問題がある。ちゃんと実況中継をすればこれは解決すること。なんだかんだ理由をつけて冥想をやろうとしていないだけだ。心を治療しなさい。包丁で傷つけられたとして、あなたは包丁を殴るのですか?そんなことしないで受けた傷を治しなさい。あなたにとってその傷つけられた経験というのは地球が頭の上に落ちてきたくらい重要なことだと思っているかもしれないが、そんなことマスタードの種が頭に落ちてきたくらいにしかすぎない。たいしたことない。
悟りとは虚無主義ということなのか?
悟った人は理性があり常に冷静に行動する。全てを知っている人にとっては驚きもなにもない。
愚か者はそれを感情がない虚無主義だと思うだけ。愚か者はその程度の思考だ。バカと一緒に泣いたり、バカと一緒に笑ったり、悟りとはそういった世界とは全く違う。
虚無主義ではなく、偉大なる心の境地である。
悟りの境地、一切を知っている人の境地、落ち着きは、 何も知らない人、どん底の人の落ち着き、無知そのものとは比べ物にならない。
自分のことでさえロクに知らないのに人のことをどうこう思うなどできるわけがない。話にならないほど無知だ。だから何々主義というのは仏教にとって関係ない。
その他、悟りを開いた人のことや他の宗教のこと、アートマンのことなど。

今日の質疑応答はなかなかこれまた自分にとって意味深いものだった。聞いてみたいなーと思ってたことだったし〜 歩き冥想云々は私の隣に座っていた人が質問したんだが、あっ!これはどこかで聞いたようなことじゃん!って感じだった。いつも感じるのだが、今日の法話の内容もまさしくタイムリーっていうか、自分にとって気づきを促すものだった。
パディパター7月号に書いてあった内容も、ずっと気になっていたことの答がそのまんまあってこれまた感動。今日の法話とあわせて、愚か者と意気投合するなんて全く愚か者極まりない〜って感じだ。二度と生まれないことを目指しているのに、余計なことはしていられない。
ハリーさんに「真理がわかってくると友達がいなくなります」って言われたけど、その通りだし、そんな友達も必要ない。
法話のあとは休憩後、4時半から初心者冥想指導と各自自由冥想。私は3階に上がって歩き冥想を1時間ちょっとした後、座り冥想を2時間ほどみっちりやった。
やはり歩き冥想をみっちりやってから座ると落ち着いてじっくり座れる気がする。
眠くなることもなく、なんだかあっという間に時間が過ぎた。雑念も今までで一番沸いてこないというか、ひたすら実況中継できたような気がするが、実況中継しつつ だんだん妙な雑念がでてきて、今回は解剖しまくり〜 いったいなんなんだ?生贄サックリというよりは、人体実験云々みたいな感じ。これは面白半分、実験気分でやったあれなんだろうな。ひでぇー
雑念雑念、妄想妄想、と戻って細かく実況中継。
あっという間の3時間だった。
最低限、このくらいは家でじっくりみっちりやらんとなぁ…
今日はMokoさんが初心者冥想指導に参加された。お初でお約束どおり長老のド真ん前!もう鞭がビシバシ飛びまくり〜だったとか。

生きとし生けるものが幸せでありますように…

冥想合宿 明心法

20080624

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