宝泉寺 宿泊仏教実践会 

スタート
2008年5月28日から京都の宝泉寺スマナサーラ長老指導による冥想仏教実践会があるということを知ったのは、マヌケにも抽選申し込みの往復葉書送付の締め切り日をとっくに過ぎた4月14日だった。
ガーン、なんだ、あったのかー?!なんで気がつかなかったのか?!とドンヨリ。でも、なんだか行ける予感がしたので、悶々としててもしょうがないからキャンセル待ちに入れてもらおうと、京都の宝泉寺にいきなり電話してみた。もしキャンセルが出るようなことがあったら連絡ください、と連絡先を伝える。
5月20日を過ぎても連絡はなかったので、行ける予感がしたんだけど駄目なのかなーと思いつつ、じゃぁお金使わないから他の買い物でもしようとDVDやら本やら買いまくり〜
5月23日月曜日の午前中、いつものように経済活動をしていると携帯がなった。留守電にメッセージがあるとかなんとか。いつもなら無視か随分あとから確認するんだが、なぜかその日はすぐメッセージを確認すると、宝泉寺のお坊さんからキャンセルがでたので急だが参加するかどうかの連絡だった。
え?え?え?あさってからじゃんーどうしよー、金もないぞーとちょっと考え、やっぱり行ける時は行かなきゃなーと昼前に連絡して行くことを伝える。まぁお金とかは上に任せていればなんとかなるだろーという思考。
京都だから楽勝〜と思っていたら、なんと京都から2時間半もかかるとはビックリ!しかもこんなに電車賃が高いとは知らなかった。そういえば京都は30年ぶりくらいか?よくみると目的地は天橋立の近くであることが判明。
2年位前に天橋立の夢を見たことがある。だれかに「ここは天橋立です。この神社は…」などと説明されて目が覚めて、天橋立ってどこだろう?あーそうか日本三景だっけーみたいな感じだったのを覚えている。ネット検索したらなにげに2千年。神社萌えの私としては行かねばならぬー!って感じ。で、ドタバタちょっとだけ天橋立訪問することとした。
前日はSちゃんとカレーだったので、その待ち合わせ時間の前に切符購入。とりあえず片道だけと思ってたら、窓口のオネイサンが往復買うと1割引になりますよというので、じゃぁお願いしますと・・・しかしここでも私はマヌケにも、野田川往復にすればいいのに天橋立往復にしてしまう。
さて5月28日、いつもより早起きして品川駅から のぞみに初乗車。へぇーこんなにガンガン出てるんだーとビックリ。うとうとしているうちに9時半ごろ京都到着。わー 人少なーい!空いてる駅だなーという印象。乗り換えの時間をカナーリ余裕もたせていたので、エキナカでもプラプラするかー(勝手にエキュートみたいなのがあると思ってた)とブラついたんだが…
天橋立行きの特急に乗って12時半ごろ夢にまでみた天橋立到着。2時過ぎには野田川行きの普通列車に乗らなきゃいけないから戻ってこないといけないと、足早に天橋立に向かった。 
とっとと駅に戻り野田川へ。ひゃー1両電車だ! いろいろ初体験なことありで野田川到着。
うひゃー なんか耳鳴りしそうなくらいの静けさ。のどかな風景。なんか凄いところだ。
念のため帰りの特急指定券を買おうと駅長さんに尋ねる。すると、端末を出すので待ってください、時間がかかりますが良いですか?とかなんとか。え?端末?よくみるとなにもない。結局どうするのかと思ったら、希望の列車を伝えると駅長さんが時刻表を確認しつつ用紙に書き込む。そしてファックス。え?なになに?ファックス???すると希望の列車指定席がOKということで、駅長さんが手書きで記入〜 ひゃーそういえば昔って手書きの切符だったかも。ものすごーい新鮮、と同時に、これ大丈夫なのかなぁ?と思ったり。
結局切符を買うのに30分かかった。バスは行ってしまい、まぁタクシーで行くかぁと思っていたら、別の路線バスが駅に到着。ボーッとしてると駅長さんが、「どこ行くのですか?」と聞いてきたので「四辻というところです」と答えると、あのバスが行くかもしれないと教えてくれた。で、そのバスに乗り無事に目的地に到着〜
なんか昔懐かしい旅行気分だった。
お寺の隣にある神社見物した後、お寺へ。 もう結構人が来ていて冥想を始めていた。
受付で名前を告げて部屋に案内される。ひゃーものすごい静か〜 元伊勢籠神社で買ったお祓い鈴がりんりん鳴るし、スーパーの袋がガサガサいうわで、なんだかホント私ものすごい場違い!って感じだった。やっべー いったいこれから大丈夫なのか?! まぁとにかくなんとか準備完了。

いよいよ冥想仏教実践
到着した初日は初めての人に16時から日程はその他の説明がされ、17時から夕方のお経が始まる。
ひゃー なんか長い。お経もたくさんあるし、慈悲の冥想も3回ずつだし、正座が出来ない私的に結構きついし、早起きして天橋立歩いて思わぬ運動をした私はくたびれていて、あくびチラホラ
1時間くらいお経をあげて立ち瞑想10分弱に座り冥想40分くらい?ひぃ〜
19時くらいから長老の説法。質問をうけてそれに答える感じだ。21時過ぎに終了し、その後21時半くらいから初心者指導があった。ものすごく眠いのだけど長老の話はしっかり聞く。他のことだったら眠くて簡単に居眠り三昧な私が、自分でもビックリ〜 指導が終わったのは23時半くらいで、その日寝たのは0時半くらいだった。
起きられるのか?!
朝は5時からお経なので、それにあわせて起床。でも殆どの人は各自冥想をやるのでもっと早くから起きていた。目覚ましを鳴らして起きる人はおらず、つねにシーン・・・私の持って行った100円ショップの時計の秒針の進む音がはばかられるほど静か。まったく なにもかも気まずいーーーー
5時からまた1時間ほどお経の後、ヴィパッサナー冥想して、7時から朝食を並べる用意をする。それが終わったら食事前のお経。 食物に感謝ということなんだろうが、いやぁ、なんかこうやって食事前にお経をあげるというのは、食べるということを面倒くさくしているって効果があるのかも??
そして朝食。その後は各自自由にヴィパッサナー冥想。
11時半頃から食事を並べる用意後、食事前のお経、昼食。 その後は各自ヴィパッサナー冥想。
そして17時から夕方のお経、慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想をして、19時ごろから説法が21時くらいまで。そして各自冥想、就寝。
この繰り返しだった。
長老に質問がある人はノートに名前をかいて、午前と午後に順番に聞く。
だれが監視しているわけでもなく、疑問があったら長老に聞くというスタイルなので、修行は各自に任せられている感じだ。

私は食べるのが遅いので、とっとと急いで食べた。食事は玄米ご飯やおこわ、サラダ、豆、練り物、めかぶなど、昼は玄米ご飯とおかずは仕出し弁当でごくごく普通の食事だった。カレーもでた。こういった日本のカレーは何年ぶりだろう。完食したいので昼は特に早く食べる。ホント私は食べるのが遅い。
納豆出たらどうしようーと思っていたが、ここは関西、納豆は選択肢にないのかも?
1日2回の食事というのもどうということはない。そういえば初日は天橋立歩いている時にアクエリアス1本飲んだだけで、なにも飲まず食わずだった。それでも平気だったんだが、水分はもっと取ったほうがいいかも。
また、ありがたいことに お茶やコーヒー、お菓子が用意されていて、いつでも食べることができた。

お風呂は2日目と4日目の午後に近くにある温泉に連れて行ってもらえる。
ひたすらヴィパッサナー冥想をすることだけで、他に何をしなきゃいけないということはないので非常に快適で自分のペースでできるので環境は抜群だと思った。しかも耳鳴りがしそうなほど静かなところ。

最終日の午後は13時からお経と説法。
お弁当が到着するのが遅れたため時間がおせおせになり、最後の茶話会(まぁ名前とどこから来たかくらいは言いましょうってことで)は20分程度で終了し、野田川駅まで車で送っていただいた。

いったいどうなることか?!と思ったが、振り返ってみれば、あっという間の4泊5日だった。
京都の法泉寺での仏教実践会は年に2回あるらしい。機会があればこういったものに参加すると良いと思う。ものすごく得られるものがあると思うから。

ムダなおしゃべりをしない無言行なので、なにもしゃべらない。
ふと思ったのだが、こういう人が集まる時って面倒くさいなーと感じるのだが、ちょっとした挨拶から始まって、どこから来たのかとか、仕事はなにかとか、どうしてきたのかとか、いろいろ話をするのが面倒くさいから嫌なんだなーということに気づいた。

昔、ある○×に関する習い事の初クラスで自己紹介することになって、私が一番最初で、○×が好きなのでこれこれあーなのでこれを習おうと思いました、などと言ったのだが、そういうのは私だけだった。他の人たちは◎△×大学を卒業して、□○会社で何々をやっていますとか、その習い事に関係ない事柄を羅列。しまいに有名ななんとか先生を知っていますとか、いかに自分の技能を仕事に生かしているかとか、まったくその習い事に関することではなかった。
あげくのはてに、年はいくつか?結婚してるのか?などと聞いてきた女がいて、話すこともないから同じように結婚してるのか聞いたら、「結婚はしてないけどパートナーはいるから。パートナーはいるから!!」などと力強く連呼。この人は結婚していないということで責められたりしたためにこうやって攻撃的に話すのかなぁ?と感じた。 はっきり言って結婚してようがどうしようがどうでもいいよ、って感じなんだが。 こういう人とは二度と会いたくはないが、まぁいてもいなくてもどうでもいいや、と思っていたら、その女に会ったのはその最初のクラスの1回限りで二度と会うことはなかった。レッスンが終わったってことなのかな。
こういうことはよくあることらしい。まずは自分をアピール。それでお互いどっちが上か下か確認するってことなんだそうだ。そしていろいろ策略をめぐらす感じ。うへー キモチワルイーー
こういうのは自我のなせる業なんだろうな。
なにも話さなければ、相手がどういう人かもわからんし、自分もどういうことか言うこともないし、自分は自分のすることをする、ってことで余計なことに煩わされなくなっていいってことなんだろうなぁ。
話さないっていうのは無視しているということではなく、ムダなことをやらないってことなんだと思う。

お経の本を開いて字や意味がわかるように各ページの写真を撮っていたら、もし必要だったら住職さんに尋ねてみてはどうか?とか、このお経のCDはもらったか?とか声をかけてくださった方々がいらっしゃった。必要だと感じたときに声をかける。ホントのやさしさ、心配り、気遣いなんだなーと思った。

長老に質問
3日目の午前中、長老に質問した。超緊張し しまいに声は震え しどろもどろ・・・
明確な答をいただき、それによって問題が解決したこともあり、またさらに聞いてみたいことがあったので4日目の午前中にも質問してみた。好奇心でいろいろ聞いてみたりしたら、長老に呆れられバッサリ!マヌケなことを言うと「話にならんわ」と思いっきり嫌な顔をし頭を抱え呆れかえる長老。
ひゃー ホント緊張するなー!
その言葉は明確に的を得まくりで、そして慈愛溢れるものだった。
話を聞けば聞くほど、本当に本物、慈しみの心に溢れたとてつもなく大きな方なんだなーとつくづく感じた。

ピシャリ!バッサリ!やられても、また懲りずに質問しよう〜っと!

●今回最大の失敗点
服装の失敗。最高気温がこのくらいだから良いんじゃね?!って感じで薄着すぎー
なのでジャケットをずっと着るはめに・・・トホホ
パーカー一着でも持っていけばよかったのにぃ〜 自分は寒がりなのに準備足らなすぎ。がっくし…
初日は初めて歩き冥想をじっくりやろうと思って、結局2時間歩いてみた。単純に考えて2時間ゆっくり歩き続けるというのは疲れるもんだ。その後、座り冥想。ひゃー 思いのほか落ち着いて座れた。これが歩き冥想の効果なのか!歩き冥想は雑念が入りにくいし、眠くならないし、非常に効果がわかりやすいしぃ〜
家では10分もやると気分悪くなって、長老に相談したら「あなたの心に問題がある!」とバッサリ。
いやぁ、まさしくそのとおりで、2時間歩こうがどうしようが、足は疲れても気分が悪くなることは全くなかった。
ラストは集中が途切れた。なんかいろいろ長老に質問して自分なりにいろいろ納得して完結したこともあったのだが、それよりも4日目は膝が痛くて長く座っていられなくなっていた。
なんとか動かさずと思っていたのだが、膝を痛めてもなにもならんーなどと思いちょっとずらしたりして動かしたり、その時はちょっと楽になるんだが しばらくするとまた痛くなる。はぁ・・・これがどうしたって苦は苦ってことなのかーと身をもって痛感することとなった。物理的に痛いレッスンだったなぁ。
帰る日は日曜日だったので観光客が結構多く、電車も混雑。指定券買っておいてよかったーって感じ。
乗り換え時間の短い京都でもダッシュして無事に乗り込み、のぞみ700系で快適に帰宅〜
ダッシュしたから土産も買わず。551も買わず。そうだ、車内販売があるかも??と期待したがそれはなくガックリしていたところに、なんだかニオイが… 隣のオネイサンの足元に551の紙袋がっ!

今回行ったところは静かで環境抜群だったが、どうやら私はやっぱりそういうところには長くはいられないらしい。ちょっと観光で訪れるだけならいいが、長く滞在というか暮らすのはどう考えても無理。
東京のいつもおなじみの高層ビル群を見てホッとした。
今回、お寺のスタッフのみなさんや参加者の皆さんに大変お世話になり感謝感激。

なんていうか、某宗教系とか某なんちゃら団体とかだと「私たちはこんな良い事をしています」ってニオイがプンプンしてキモチワルイことが多々あるんだけど、やっぱり仏教系は相手の見返りを期待しないで慈悲の心で普通にやっているから、そういったキモチワルサがないんだろうなぁ。なんかホント感動しまくり。

みなさま、本当にありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように…

長老にバッサリ 常にタイムリーな法話

20080604

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