阿字観実修体験

写経や瞑想会をやっている寺が近くにないかなーとインターネットで検索したら、高野山東京別院で阿字観実修体験というのをやっていることを知った。しかも無料。で、早速11月24日に行ってみることにした。
予約は必要なし。初めての人は説明をするので9時半に集合するように言われたので、のこのこ行ってみた。

ようわからんままに寺に入ってロビーで待っていると坊さんが来て簡単な説明が始まった。
「何年もかかることですから、今日やって何かを得ようと思っても無理な話です。まれに感受性の強い人がなにか感じたりすることもありますが、逆にそれだと大変です。今日なにか答を出そうなどと思わないでください。あまり一生懸命にならずに気楽にテキトーにやってください。無理をしないでください。初めてですからきょろきょろしても、動いてもかまいませんよ。」などというような話があった。

「では貴重品を持って本堂に行きましょう。お寺に来る人がみんな良い人とは限りません。なかには悪い人もいますが、寺は怪しいと思っても そういう人を選別しませんから、みなさんで管理して気をつけてくださいね。」
あはは、確かに予約もいらない、名前も聞かない、来たければどうぞ、って感じだから、悪い奴が来る可能性は多々あるわけだ。
本堂に入る前の作法を教わる。
塗香(ずこう)というお香の粉末を一つまみ、利き手でとって、片方の手にもとって、両手のひらに刷り込み、手の甲と手全体に刷り込んだ後、胸の前で開いて体を清めるような仕草をして完了。
ほんのりカレーのような香りで良い香り〜
服につけないように言われた。いわゆる寺臭、抹香臭いからということらしいが、実は抹香というのは無臭なんだそうだ。抹香と塗香が同じと思われて抹香臭いといわれるようになったのだが、本当は「塗香くさい」というのが正しいらしい。 まぁどうでもいいことなんだけど、面白い。
本堂には座禅用の丸い座布団?が置いてあり、阿字観本尊の掛け軸が掛けてある。30センチくらいの幅の掛け軸で真ん中に真ん丸の月が描いてあるものだ。じっと見て目を閉じると残像が見える感じ。
掛け軸の前に座って10時の開始まで待つ。
本堂の曼荼羅やら仏像やらをジーロジロ、きょろきょろ見まくり。
参加者は初めての人が15人くらい、全体では60〜70人くらいいたんだろうか?思ったより多かった。

時間となり、坊さんがを持って登場〜 わーカッコイイ〜などと法具萌えに… なんだか次第にハイテンションに・・・
阿字観瞑想は一人でやるのではなく、最初から最後まで坊さんの指導に従って進んでいく。
まず座り方、姿勢を整える。苦しいところはないか、痛いところはないかのチェック。最初から結跏趺坐でしっかり座れるわけはないのだから、まずは両足がべったり床についていることが大事なんだそうだ。両足がしっかりついたということは、股関節が柔らかくなって足を広げられたということだから、そこから足を組めばよいということだった。呼吸が大事なのでまずは呼吸法をしっかり覚える。そして姿勢を作っていけばいいということらしい。無理に足を組むと膝や関節などを痛めることになるから、無理はしない、痛い、辛いは無しということらしい。苦しくなったら無理をしない、足を組み替えてもいいし動いてもいい、と何度も繰り返されていた。
姿勢が整ったところでまず合掌。手をちょっと膨らました感じ、蓮の花のつぼみのような形で合掌した後、続いて三礼。親指と人差し指で輪をつくり頭を床につけて礼をして、合掌してゆっくり立ち上がる。そして、またゆっくり座る。これを3回繰り返す。結構良い運動になる。
これを五体投地でやるのもありなのかなーと思った。

座って普通の深呼吸をし、姿勢を整えて阿字観の呼吸の仕方を教わる。まずは息を吐き切り、そこで自然に息を吸う。その繰り返し。吐く息とともにアーと声を出してみる。
そして般若心経の読経。いやぁ、実はこれがやりたくて来たみたいなところがある。
覚えてない人も一緒に声を出すこと、この声を出すということに意味があるらしい。それに文字で覚えるというよりも音で覚えた方が早いので、これを機会に覚えてくださいということだった。私もうろ覚えだからちょうど良い機会だなーと思った。
吐く息と一緒にのせてうまく言えるのかと思いつつ、読経開始。
がんじーざいぼーさつ・・・  わー 思いのほか覚えているし、声が出るわ出るわ、自分でも不思議な感じ。それにもの凄く楽しい〜! やっぱり変か?!っていうか、やっぱりいつもやっていたような感覚、懐かしい感覚がしたし、もっとやりたーい!って感じだった。
般若心経の後はなにやらマントラを唱えた。これも楽しい〜! 楽しいと思う自分もどうなのかと思うが…

20歳くらいの頃になぜか般若心経を覚えなきゃいけないと思って覚えたんだけど、観音経やらその他のお経も覚えておけばよかったなぁ〜
カナーリハイテンションになったところで、また落ち着いて坊さんの指導のもと瞑想に入る。
目の前の月を見つつ、呼吸を意識して、そして月と自分が近づいて一体となりどんどん大きく広がって大宇宙にまで広がり自分の実体がなくなり… あーなんかこれって気功と同じじゃん〜 朱先生の「大宇宙とつながってぇ〜」って感じ。 やっぱりここでも雑念が入ってくるというか、いろんな妄想しまくりになるので、また戻ってひたすら宇宙に広がるイメージ・・・するとスタートレックになっちゃうんですがぁーーー
5分か10分くらいなだったろうか、そんな瞑想のあと元に戻るように促され、呼吸をもとにもどして体をほぐして姿勢を正し合掌、三礼して終了。

「今ここで得たものは全部忘れてください。持ち帰ると周りと話が合わないということがあります。すべて忘れてください。なにか得た気になっても、それは自分が思っているほどたいしたことじゃないですから。また新しい気持ち、まっさらな気分で阿字観をやってください。」とお坊さん。いやぁ、こういうこと言うとは予想してなかったから、なんかおもしろーいと思ったよ。「みなさんは普通の生活がありますから、ここで感じたことは全部捨てて行って下さい」と何度も繰り返していた。

「お寺は捨てに来るところです。お寺でなにかご利益を得ようとか思うのは大間違いですよ。寺にはいろいろな人のいろいろな念が渦巻いていますから、そんなものを持っていったら大変ですよ。こちらは楽で良いですけどねー」とかなんとか。 このお坊さん、とっても話が上手くて面白かった。

11時から茶話会。どんなもんかそれも参加してみた。お茶とうさぎやのどら焼きをいただく。
特に質問がでなかったので、お坊さんが高野山のことや密教のこと、ブッダのことなどについて話された。
なかなか面白く、へぇ〜ってことも多々あり。一昨日の長老とはまた違った感じだ。
この流れでこういう話を聞く意味というか、いやぁ、全てはうまいこと順番に来ているんだなーとつくづく感じた。
ブッダの元の教えという上座仏教は完全否定、密教は完全肯定という意味もわかりやすく説明されて、いろいろな仏教のたとえ話についても面白かった。
読経も楽しいし、坊さんの話も面白かったので来週も来てみようかな。
どうやら私は密教系が好きらしい…
寺の修行というのはいかに己が無知であるということを思い知らされることから始まるんだそうだ。完全な自己否定になるから、芯がないと何も残らない。今の若い人はそれなりの人格という形、殻が出来上がっているが芯の棒(辛抱)がないから、バーンと否定されて外側の殻を崩されると何も残らないんだそうだ。
昔ながらの教え方をすると人格崩壊、逆切れしたり、自殺してしまったりという結果を招くから、寺での指導のあり方を変えていかなければならないという話だった。昔のように師匠の雰囲気を学びとっていくというわけにはいかないらしい。
人とのコミュニケーション、考え方の違う人と話すこと、そうすると自分でも思いもつかなかった言葉がでてくることがある。それはずっと繋がる自分の命の記憶、経験なんですよ、みたいなことを仰ってたのが印象的だった。繋がる命、永遠の魂の記憶ってことか。坊さんの話はいたるところに真理がちりばめられているような印象をうけた。それを受け取れるか受け取れないかは自分の成長次第ってことなんだろうなぁ。
ブッダは7人くらい師匠を変えたんだが、ついに悟った時、それぞれ師匠は同じことを言っていたけど自分が未熟で単に気づけなかったということに気づいたらしい。
準備ができていないと同じことをきいても理解できないってことなんだなぁ。
どれも言っていることはみな同じ。アプローチの仕方が違うだけだから、自分の好きなのを見つけるといいってことなんだよねぇ〜 
大事なことは五感を研ぎ澄ます、ってことかぁ。 あっ!「五感を研ぎ澄ます」って一番最初に靜さんとこ行った時にオヤジさんから言われたアドバイスだった。ひゃー このことですかい?!どんどん繋がっていくなぁ〜

ヴィバッサナー瞑想  いきなりまたオーラ

20071125