2007年10月に会社の凄い人なのに全然偉そうじゃない人が参加している合唱団の発表会に行く途中、川崎ラゾーナの本屋でアルボムッレ・スマナサーラ長老の「怒らないこと」という本をたまたま立ち読みした。そこに「現代人の瞑想法」というテーマの講演会のチラシがはさんであって、それがまたちょうど行けそうな日と場所だったので長老の講演会を初めて聴きに行ってみた。この講演をきっかけに、テーラワーダ仏教協会のサイトを見てみた。ブログには長老の教え、講演がたくさんUPされてて聞き放題だ。なかなかすごいな! とってもためになるし面白い〜 |
| 以前からスマナサーラ長老のことは見聞きしていたし本も2冊ほど持っているが、実際講演を聴くとなかなか面白く、バッサリはっきりの物言いがなんとも明快で楽しく面白かった。とてもわかりやすくストレートにくるんだが、ちょっと違う方向から見た視点で説明したりするので、一部の人、理解力不足の人達からは誤解を受けるかもしれないなぁ。ちょっとマゼンタっぽいかも〜と思った。 |
2007年11月22日、2時半から5時半までヴィバッサナー瞑想指導と法話というのがあるというので、これまた会社をお休みして行ってみた。名前と住所をかいてお布施を渡す。お布施は気持ちだから0円でも構わないし、いくらでも良い感じ。だいたい皆1000円くらい渡しているようだ。礼拝と日常経典のコピーを渡され、初めての人は前に座るように言われる。 最初は礼拝からスタート。もらった紙をみながら礼拝開始。ナモータッセーバガワトー・・・・・・ あーパーリ語だ!なんだかいきなりハイテンションになる。うわー うまいこと唱えられないけどスンゲー楽しい〜 続いて日本語で懺悔誓願の文を読み、慈悲の瞑想に入る。パーリ語のリズムみたいにちょっとメロディーつけながら日本語。 その後スマナサーラ長老の話があり質問は?となったら、いきなり、瞑想とは関係ないが一般的にヘビーな質問があった。ひゃーこういうのはどう答えるんだろう?って思いつつ長老の対応の仕方に釘付け。 |
| 瞑想指導が始まる前、事務局の人が日本語がわからないロシア人がインターネットでここのことを知って今日来ていることを長老に伝えると、「日本語がわからないのにどうやって来たんですかね?わからないのにいても時間の無駄なのに。」と仰ったので、ちょっとウケた。いやぁ、どうするのかなーと思っていたら、ロシア人に日本語わからないの?とてもベーシックなことしか時間の都合上言えないけどそれでもいいか、みたいなことを言い、結局みんなに一通り説明した後、そのたびごとに英語で丁寧に説明されていた。なんか流石だなーと思ったよ。そのロシア人は2年くらい瞑想をほとんど独学でやっているらしい。マイ瞑想用小さい座布団を持参していた。 |
| 長老による瞑想指導が始まった。 こころとはなんですか?生きるとはなんですか?いのちとはなんですか?改めて問われるとなにも答えられない。 「こころ」とは「感覚」、なるほどなーって感じ。 「真剣にやってください。眠くなる人がいますが、そういう人は真剣さが足りない。ここにいる資格はないのです。別のところに行ったほうがいいですよ。」とまで言い放つ。 ヴィバッサナー瞑想の方法を段階を踏んでわかりやすく順番に教えてくださった。それはそれはわかりやすいのだが、ちゃんとできない・・・うーむ。 集中力を高めるのに一番の訓練は、体を全く動かさないこと。で、やってみるが、これがなかなか難しい。1分足らずもできない。手の上げ下げを「あげます、あげます、さげます、さげます」と実況中継しながらゆっくりやる。これもなかなか難しい。そして同じように実況中継しながらゆっくり同じペースで立ち、歩き、座る。実況中継以外のことは全て雑念。雑念が入り込まないように実況中継し続ける。 座って背筋をまっすぐにしたらそれから全く動かず、下腹部が「ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み」とひたすら実況中継。足が痛くなってきたら「痛み 痛み」と実況中継。「痛い」ではなく「痛み」とするのがポイント。 「痛い」というと「私が」と主語が入ってしまうので、あくまでも客観的に観察。 ひととおりの説明、指導が終わったのは予定よりも長引き6時15分ごろだった。 なかなか面白かったので、次の上座仏教教室というのにも参加することにした。質問を受け付けるということで、自分自身は特に聞きたいことはないけれど、長老の受け答えを見たかったということもあり参加してみたが、質疑応答の前に瞑想があるということを忘れていたよ。 いやぁ、キツかったなぁ〜 まさかそんな長くやるとは思ってなかったから(長くといっても30分くらいだったのだが)、座ってたら足が痛くて痛くて、もう殆ど「痛み」と「妄想」の中継ばかりだった。 そんな中継で頭がぐるぐるしているところに、しばらくすると人の気配がして、あっこれは長老が見て廻っているのかな、と思って、でも動くわけにはいかないからビミョーに背筋を伸ばしたりしてたんだが… もうあまりの足の痛さで目を開けちゃおうかなーと思っていたところで、瞑想終了の合図。30分程度だった。 あまりの痛さでこれじゃホッとできないなーと思ったよ。終わってホッとした、って感じか?! |
質疑応答は興味深かった。仏教についての事の他、身近な生活に関すること、すこしヘビーなことなど様々な質問があった。私が嫌いなシェアリングとは異なり、スマナサーラ長老に仏教のお智慧を拝借しようという感じだから、私も興味深く聞きたいと思ったのだろう。質疑応答で真言宗のことについての質問があり、あれは最初の仏教からはかけ離れていて、仏教というよりもヒンズー教の進化系って感じらしい。マントラを唱えるということで救われる、みたいなのは一般うけして、だから人気があるということらしい。へー なるほどねぇ。上座仏教は本当に最初の教えのまんま、ブッダの教えに忠実なものだから、そこからすると密教はずいぶんいろいろ変わっているようだ。 |
| 様々な質問に明快に答える長老。智慧があるとはこういうことなんだなーと感じた。 |
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| ヴィバッサナー瞑想は単純明快、とても簡単だ。じっとして微動だにせず。背筋を伸ばし姿勢を正す。そして自分の動きを実況中継する。ひたすら実況中継し、思考を止める。 たったこれだけなんだが、この簡単そうな単純なことが全くといっていいくらいできない。 禅密気功の瞑想会に参加していなければ、速攻眠気にやられてウトウトしていたことだろう。眠気には襲われなかったものの、妄想の嵐を完全に治めることはできなかった。 私は座禅を組むことができず、足が痛くて痛くて、「痛み」「痺れ」の実況ばかりになってきて、非常に苦痛だった。足は痛いし背中もだるいって感じになってきて、しまいに朱先生の「体の楽なところ探してぇ〜 微妙な気の動きをみて〜 見えるかなぁ〜」という声がしてくるし、サルマンが背中ささえてくれたりして、もう妄想雑念の嵐だった。そのたびに「妄想、妄想、妄想」って確認するものの、エレメンタル止まらずーって感じ。 思考を止めるということは実に難しいということを痛感した。 後半の話のなかで、「私がそばにいくと、ちゃんと瞑想している振りをして、しっかりやっていると思われたと思っている人がいるんですよ。でも体をみれば瞑想ができているかできていないかわかるんです。」って話された。 アイタタタタ それは私のことかーーー 今回は自分の意思の弱さ、心の弱さを痛感できたということも、大きな収穫だった。 いかに感情、感覚に左右されてるなーと痛感。クソみたいな感情、思考が溢れてロクなことはないってことだな。 鋭い切り口で気づかせていただき、ありがとうございます〜長老! |
| このヴィバッサナー瞑想、じっくり1週間やったら、ホント、悟りに至る近道なのかもしれない。 真理はひとつだから、結局言ってることはみな同じ。エゴイズムを捨て去り本当の自分になるってことか。 ヴィバッサナー瞑想の話を聞いていたら、サマディーの境地にさらに近づくって感じたよ。 この瞑想法についての本は持っていて、なんとなくやり方というのは知っていたが、実際どうやるのかを直接教えてもらったのでカナーリプラスとなった。ヴィバッサナー瞑想に興味のある人は本を読むだけでなくて一度指導をうけると良いと思う。 |
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20071123