禅密気功瞑想会

2007年10月5日から4日間、6月から行き始めた禅密気功教室で瞑想会があるというので参加してみた。
10時から17時半まで連続4日、瞑想三昧・・・大丈夫なのか?!
そんな長い時間なにするの?へんな壺とか買わされるんじゃないの?などとワケワカメな心配をする将軍。
瞑想会があると聞いた時、一日1万円、しかも4日参加者優先ということをきき、えー4万円もありえんーとすぐ忘れてしまっていた。ところが、数日後、Prinさんに「瞑想会あるけど、一日1万円って高ーい、ありえなーい」云々聞いたら、あーそういえば瞑想会とかあるって言ってたっけ・・・とプリントを見なおしたら、もうやたらと気になっちゃって気になっちゃって、一日1万円かぁ、4日で4万・・・うーむ、と思いつつ、この金はなんとか都合つくかも〜と思って急に申し込むことにした。で、ありえないと言っていたPrinさんもいろいろな流れから申し込むこととなり・・・
後ろの人の仕業としか思えん!
気づかせてくれたPrinさん、いつもいつもありがとうございますー!
初日、10月5日、わくわくしつつ会場へ・・・ここでありえない失態をやらかす。
もたもたして最初の予定より10分ほど出遅れるのだが、これはまぁちょうどいい時間につくと思いきや、なんと降りる駅を間違えて護国寺に行ってしまう。しばらくうろうろ探すうち、こりゃダメだと電話、「今大塚警察署の前なんですが・・・護国寺降りて・・・」とあせりつつ電話をすると、「江戸川橋ですよ」との答。
ガぁーーーん 何をやってるのか、私は?! こんな大ボケは初めてだ。しかもちゃんと用意していた地図は江戸川橋駅って書いてあるじゃないかー ひゃー ちょっと遅れますーとあわてて江戸川橋方面に向かう。始まってるところにガサガサドタバタ入っていくのも超迷惑かけるなー最低だーと思いつつ…
結局10分ほどの遅刻となったが、もう自分自身に笑いが止まらんかった。こりゃいったい何のレッスンなのか?!
こりゃ数日前の山伏のワザなのか真言密教寺に吸い込まれてしまったということなのか、長時間の瞑想はダメ、スローダウンしなさいというハリーさんのメッセージなのか?! いやぁ いろいろ考えるが、もうとにかくおかしくてしょうがない。まぁこういうこともあるもんだ。同じような大ボケかます人に対してもこれからは優しい目で見れるようになったかもー
さて、既に始まっている瞑想会に参加。もう汗ダラダラで、落ち着いてる場合じゃないー
なんとか心を落ち着かせ、汗をふきふき瞑想開始。
息を吐く時に気を丹田までおろすというのをひたすら集中して行う。
いやー もう眠気&雑念の嵐だ。睡魔と闘いつつお昼の休憩。

1時半からまたひたすら瞑想&ジュウドウ。
うわー ちらちら時計をみつつ、睡魔と闘い、なんだか時間たたねーなーと思いつつ、なんとか丹田に意識をもっていく。そのうち、そうだケイチュウに意識もってたれ、とあちこち集中していると、先生に座布団を渡される。それをひいて、またやはり丹田からだと、集中開始。うわー また眠くなってきた、2時半、ちらりと時計をみると2時40分、ひー 時間が経つのが遅いー とジタバタ睡魔&雑念と闘いつつ、背骨を微妙に揺らしながら瞑想を続けた。すると3時ごろから急にしっくり座れて、いつまでも座ってられる感じと思ったら、眠気が吹き飛びひたすら丹田とその周囲に意識が集中できた。眠気がしなくなったのには驚愕ーーー
そのうち見たことない顔が浮かんできたり、いろいろな色が浮かんできたりしては消して、気のもやもやしているような感じに集中。下っ腹から上、なんだかお腹の中がとっても熱くなる。

こんな感じで第一日目が終了。スタートはいったいどうなることやら、と思ったが、そんな大ボケは終わってみればたいしたことなかった。

席をPrinさんがとっておいてくださったので、助かりましたー いつもお世話になりありがとうございます。
さて2日目 今日はエライ早く到着。
ちょっと席をかえて一番後ろに移動。
眠気はないものの雑念おさまらずーーー でもなんとか吐く息とともに気を丹田に集中していく。
なんだか初日の筋肉痛が出始めて腰が痛いかもーー 気が散りながら微妙に動きつつなんとか集中。
午後3時くらいにまた変化がおきた。どうしてもだんだん息が止まるというか呼吸数が少なくなって息をしなくなる感じがするので、なんだかなーと思いつつ意識的に呼吸しつつ気を丹田に落としていると、急にジャーって水が出るみたいに流れ出した。呼吸は関係ない感じ。へぇ〜と思って眺めつつどんどん気を丹田にためていくうち、頭が締められるような感覚に襲われる。あー これって小さい時によく感じたことあったなぁって思い出した。頭がパンパンいっぱいって感じ。こういう状態になると筋肉痛も吹き飛んでしまう。

息を吐くときは丹田に集中、吸うときも丹田ということなんだが、吸うときはどうやら意識が上の方にあった。
なんだ、こういうことだったのか、うーむ…
これほど丹田に集中したことは今までにないな。
3日目
初日、2日目はなんだか苦行というかハードだなーとちょっと気が重くなりがちだったが、3日目はなんだかウキウキして早く瞑想したーい、って感じ。 不思議なもんだ。
初日、あれだけ襲われた睡魔はどこかへ飛び去ってしまい、あるのは小さな雑念がちらほら。でもそれもとらわれることなく放っておくことができた。
集中力が低下すると背中の痛いところが気になるが、集中できてくるとなにも感じない。ある位置でカチッと固まる感じがするが、どうも私は体が傾いている感じだ。どこか曲がっているのだろう。
丹田にどんどん気を貯めていくと丹田からジンワリ熱くなってくる。そのうちいっぱいいっぱいになって、頭もパンパンになってくる。息もしなくていいような感じになるので、それを観察していると、別に呼吸していなくても気が流れているんだなぁと感じた。私の場合、その気の管というか道が細いのでこれをもっと太くできないかなーとさらに集中する。

初日と2日目は50分瞑想して10分ジュウドウというパターンだったが、今日は各自自由にやるパターンで、ずっと座ってられるのならぶっ続けでやるって感じ。
あれだけ時計をチラホラみつつ時間がたたねーと悶々としていたのがウソのように、あっと言う間に午前中が終わった。

お昼休み、朱先生とおしゃべるする機会があったので、いろいろ質問してみた。
瞑想することによって、いろいろなことが人によってあらわれてくるんだそうだ。自分の弱いところ、調子の悪いところがさらに痛くなったり、頭がいたくなったり、いろいろな症状がでるが、気にしないということだった。
気にせず瞑想を続けて気を流し続けると結果的に良くなるということなんだろう。あーここが具合悪い、ここはどうして気が流れ難いのか?云々心配しだすと逆効果のようだ。
いわゆるエリート街道を捨てて気功の道を選んで家族に反対されなかったのか?とかも聞いたりして、朱先生との会話は楽しかった。やっぱり凄い人なんだなーと改めて感じたよ。

午後3時に椅子を片付けだすから何が始まるのか?と思ったら30分休憩、寝るってことだった。他の人の話によると、いつも集中講座のときはこうやって休憩するらしい。

瞑想会に参加している人に、「アメリカに住んでいたことありますか?」って聞かれて、「はい、高校生の時に1年だけいたことがあります。」って答えたら、「なんかアメリカインディアンぽいなぁと思って。」と言われた。なんか嬉しい〜 うぷぷ  
やっぱりインディアンぽく見えるのか。それが今回強くでてるってことなんだろうなぁ。エロ司教じゃなくてよかった。くくく
さて4日目。よくもまぁ持ちこたえたもんだ、と思いつつ瞑想開始。今日のディナーはカレーだと楽しみにしつつ…

気を下に流し始めると、ある時いきなり、ピンポン玉みたいなのが流れ出した。あれれ?こりゃなんだ?ピンポン玉を飲んだら苦しくてこうやってはいられないよなぁ、などとワケワカメな思考を巡らし、ピンポン玉のような丸い気の玉をどんどん丹田に落とし続ける。丹田のところにくるとふわっと周りに広がり暖かい感じ。気が満ちてくるというか いっぱいになってくるのがわかりやすかった。そうすると体の感覚、背中が痛いとか、腰が痛いとか、お尻が痛いとかいう感覚がなくなり、そのうち呼吸も少なくなり頭がパンパンになってくる。さらに流し続けて自分の状態を傍観してるって感じ。いっぱいいっぱいになってきた気を足やら手やら体全体にまわすような意識にもっていく。もう体中がポカポカだ。
姿勢が固まるのだが、やっぱり私は右前方に傾く傾向がある。それをまっすぐに戻しつつ、また繰り返して気に意識を集中する。
そんな繰り返しで4日目が終了した。
日々いろいろな変化があって非常におもしろかった。こうやって真面目に長時間瞑想をやったことがなかったし、自分的にいろんな気づきがあってとても有意義だった。
この瞑想会に参加しろよー!っていうサインを見逃さなかったというのはよかったな。
いろんなことに感謝だ。

よくこのくらい人が集まると、必ず嫌な感じの奴、水ぶくれ水太りのジトジトしたキモイ奴や、エゴイズム炸裂勘違い野郎などがいるもんだが、そういう人はいなくて、純粋に気功大好き〜って感じのよい人ばかりというのも驚いた。これも朱先生の人柄のなせる業なのか。

今回の瞑想の基本は呼吸に意識を集中して気を丹田に集めていく、というものだった。
呼吸に意識を集中することから始めて深い瞑想の境地に至るという六妙門という瞑想法で2000年の歴史があるらしい。とてもシンプルで簡単だが、とても深い。簡単なことのようで雑念やら眠気の嵐で集中するということが最初は大変だった。この六妙門には「数、随、止、観、還、浄」という6段階の練習法があり、どんどんつきつめると、そうだ「三味(サマディー)」の境地だ。これだよこれ!って感じ〜
曼荼羅描いてるラマの心境に到達できるのかー?!「全ては原因と結果に過ぎない。良いことも悪いことも同じにみる」ということが落ち着いてできるかもしれない。不動心を養うことに繋がるだろう。

長い瞑想はやらない方がいいって言うけど、やっぱり日本人や中国人、チベット人、インド人なんかは長い瞑想やっても影響ないんじゃないのかなぁ。前世で何度も経験あればあるほど大丈夫だとか、そんな風に感じるんだけどぉ〜
白人は瞑想=超能力、ニューエイジ〜、準備できてないのにチャクラ開きまくりで精神異常になっちゃうから駄目なんじゃないのかな。自分がしっかりして全て解決していないというのに、人のことを助けようとエゴイズム炸裂するからロクなことにならないんだと思う。でもまぁそれ相応、そうやって痛い思いをして学ぶということもあるのだろうし…

今回は自分の未熟さ加減を思い知ることとなったことも大変有意義だった。自分を棚に上げて人にあれこれお節介ほどウザイものはない。いやぁ、失礼しましたーって感じ。知識はもういいから実技をちゃんをやれよーって感じ。やっぱり訓練、修行なんだなぁ〜と痛感いたしましたです・・・

この時期、やっとそろそろちゃんとやれよーってことのようだ。
30年前、ヨガナンダとか読んでたら、よーしクリアヨガ!とか言っちゃって世捨て人になってたろう。それじゃ全然今世の意味がないもんなぁ。それをやりに来たんじゃないもんねぇ。
ダスカロスの会に初めて参加した時に、「世の中には真理を学ぶ方法は3つある。1.聖職者になる。2.出家する。3.普通の生活をしながら学ぶ。このなかで3番目が一番難しい。」って話がでて、つくづくなるほどなーって思ったっけ。
いろいろ考えると神聖な計画ってうまいことできているんだなぁって思う。安心して上に任せちゃえばいいってことなんだけど、波動が下がるのかなんだか惑わされることもある。しっかりせぇ、って感じ。
気功もやって とっとと自分自身のマスターにならないとな。
今回の瞑想会はエクササイズをやる上で非常に役に立つものとなった。

ホッとしました。落ち着きました。朱先生ありがとうございます〜

ハリーさん再び  ヴィバッサナー瞑想

20071009